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考古学では、そのままでは目に見えない地中の遺跡などが研究対象になることもあり、しばしば偶然が重なって発見がなされることがある。今もどこかの地中で偶然の出会いを待っている遺跡が存在しているはずである。
1799 :フランス兵が取り壊す予定だった古い壁に、碑文が3種類書かれている岩が埋め込まれていた。これがロゼッタストーンで、ヒエログリフ解読につながった。壊さなかったのはブシャール大尉がすぐに重要性に気づいたから。
1857: ネアンデルタールの洞窟で採石従業員が人間の化石を発見。・・・学者のなかにはばかばかしいと無視した人もいたが、進化論に影響を受けていたハクスリーは人類と類人猿の中間の種であると指摘した。
1974 :井戸掘りの工事中に、等身大の人物像がでてきた。さらに掘り進めると広い空間に数hy蜘蛛の人物石像が発見され、始皇帝の兵馬俑だと発見。
1978 :電気ケーブルの溝堀作業で「アステカ(アズテック)の円盤」が見つかる。さらに掘り進めると、メキシコシティの地下にアステカ帝国の年があったことがわかった。
1940: 四人の少年が探検でラスコーの壁画に気づく
通っていた学校の校長に連絡、経由で研究者ブルイユに伝わる。
1947 :死海のそばでベドウィン族の少年が、迷子になった山羊を探していた。石を岩の隙間になげこんだら陶器が割れる音がした。
直後に友達といってみたら、ツボに入った羊皮紙がみつかる。これが死海文書であった。
研究者トレーヴァーとブラウンリー、ヘブライ語から価値に気づく、聖書の写本の古さの記録をさらに塗り替えた。
・ロゼッタストーンのもう一つの説としては、その辺に転がっていたという説があるが、信憑性はやや劣るといわれている。