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明治の終わりころ、千里眼が使えるという女性が相次いで現れた。大学の研究者であった福来友吉、山川健次郎などが科学的な解明に乗り出した。これは未解決な部分もあるが、トリックで説明できるという説もある。これをまとめた。
御船千鶴子のうわさのはじまりは、最初はちょっとしたものだった。彼女は「なくなった50円は仏壇にある」といったなく下野などを当てる能力があったとされる。
徐々に、うわさが広まっていった。
1910 福来、透視実験をおこなった。いくつかは封筒の中にある紙にかかれた文字を的中させた。しかし、ふすまのなかに三舟千鶴子だけにして、実験者は入室できないなど、状況はあやしい。
髪の中にピンを隠しておき、一人になったところで頭からピンを抜いて封筒を開き、その仲の紙に書かれた文字を見て書き写した、という説がある。
この実験の騒動の最中に、御船千鶴子は劇薬を飲んで自殺した。あわてて手当てを試みたが、「いえなにも申し上げることはありません」といって死去した。
長尾は御船のつぎにそうどうになった千里眼の女性。
1911 、山川が念写実験をした。いくつかは、実験のために用意された文字が紙の上に浮き上がった。
実験には包みを開けたあとが見つかった。(つつみがあけられたらわかるように仕掛けが施されていた。)
実験に関係した横瀬という人がおり、隣家に住んでいた。隣家は扉を開ければすぐに移動できるほど軒先がちかかったという。横瀬が、鞄を開けたあと念者の内容を移し、こっそり隣家に隠れる、というトリックが考えられている。
同様に千里眼をできると名乗る女性が複数現れた。
1913 、乾板に念者する実験がおこなわれた、いくつかは正確な念者に成功したという。甲板は当時放射線がセンセーションになっており、その可能性を探るため。
乾板は他の場所におかれ、すり替えが可能ないちにあった。あらかじめ写したものをすりかえれば、あたかもうまくいったかのように見せることができるという考えがある。
千里眼は実験があまり厳密な環境下で行われなかったことが影響し、実証されたとは思われていない。また、騒動になったことでフォロワーはあらわれたものの、沈静化すると現れなくなった。
実験に参加した山川はこの騒動の終了後、総括として、「世界の人が全員盲人だったとする。そうすると形をしるには触覚にたよることになる。ここで一人だけ視覚を持っている人がいて、卵は丸い豆腐は四角いといえば、ほかのひとは詐欺師というであろう。千里眼とはそのようなものかもしれない」というふうにいっている。
御船千鶴子はその後は日本のホラー映画などの登場人物のイメージに影響を及ぼしたとも言われる。