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インディジョーンズ最後の聖戦では、秘宝としてキリストの聖杯が登場します。聖杯の足取りはどこまで追えるのか、どこにあるのかなど、聖杯に関する元ネタを解説していきます。
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聖杯は、これは最後の晩餐のシーンで出てきますし、実際に食事でだれでも杯は使用するので、キリストが使った杯はあったのでしょう。
これが紀元1世紀の半ば頃のことです。
聖書にも描写があり、これが有名な最後の晩餐のシーンですね。「マタイの福音書」に書いてあります。
しかし、意外にも聖書には聖杯に関する記述は少なく、明確に描写されているのは最後の晩餐の場面くらいということがわかっています。
そのあと、アリマタヤのヨセフによって持ち出され、キリストの磔刑のさいに、キリストの血を受けた、という言い伝えもあります。
しかしこのキリストの血を受けた、という話は、聖典の中にはない話のようです。
したがって、キリストの磔刑に関する絵画では、必ずしもアリマタヤのヨセフが聖杯を持っているとは限らず、持っている場合と、何も持っていない場合があります。
その後の行方に関しては、いくつかの説や目撃証言があります。
この説はもっとも有名な言い伝えかもしれません。
聖ペテロ(初代ローマ教皇)が聖杯をローマに持ち込み、代々の教皇に伝えたという説です。
そのあとの258年、キリスト教徒がローマ皇帝によって迫害されたさい、教皇シクストゥス2世は聖杯を聖ローレンスに与え、聖ローレンスが彼の故郷に安全に運ぶようにスペイン兵に持たせた、というものです。
もう一つはエルサレムの教会で保存されていた説です。これにはいくつかの目撃証言があります。
570年ごろ、ピアチェンツァの巡礼者アントニヌスが、エルサレムの聖地について記述しています。
そのなかで、大聖堂に展示されている多くの遺物の中に「主が最後の晩餐で祝福された杯」を見たと記述しています。
また、7世紀にも、アングロサクソン人の巡礼者アルクルフの記述の中で、エルサレム近郊の礼拝堂で最後の晩餐に使用された聖杯があることが書かれています。
アーサー王物語の重要なアイテムとしても登場します。
これらの物語がつくられはじめるのが、12世紀ころからです。
この話では、けがをした人物を助けるために、治癒力を持つとされる聖杯を探し求めるという導入になっています。
聖杯に傷を癒す力があるとか不老不死の力があるなどの話は、アーサー王物語によって作られたイメージであることがわかります。
また、聖杯の隠し場所に関する、絵画や文章などによるなぞ解き要素も、多くはアーサー王物語に触発されて作られたものです。
現在、聖杯を諸州していると主張している場所はいくつかあり、さらに言うと、聖杯といわれている杯はいくつかあります。
一番有名な、聖杯といわれている杯が、スペインのバレンシア大聖堂に保存されている瑪瑙(めのう)の杯です。
これは、イエスが最後の晩餐で使用した実際の聖杯であると信じられており、奉献された礼拝堂に保存されています。
特徴としては、暗赤色の瑪瑙でできており、土台と二つの持ち手についた構造になっています。土台と持ち手の部分は、のちの時代につけられたものだということがわかっているようです。
しかし、赤瑪瑙のカップ自体は紀元1世紀ころにパレスチナまたはエジプトの工房で製造された可能性が高いといわれており、イエスキリストが生きていた時代と一致します。
ジェノヴァの聖杯も有名な杯です。これはイタリアのジェノヴァ大聖堂に保存されています。
こちらの聖杯は、緑色のエジプトガラスで作られた六角形の皿の形をしています。 1101年の征服事業で戦利品として得られたものであり、のちに聖杯といわれるようになりました。
もともとはエメラルドで作られていると推測されていましたが、近年の分析でガラスであることがわかっています。
発見は古いのですが、作られた年代は9世紀から10世紀ごろと鑑定されています。
聖遺物は作られた時代が出来事があった時代と一致しないことの方が多いので、バレンシアの聖杯は珍しいケースですね。