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バロンドールは受賞資格の関係で獲得していない名選手がいます。例えばペレはバロンドールを7回取れたといわれています。また、マラドーナもゴールデンバロンドールという賞を受賞しています。ここでは、いろいろな名誉バロンドールについて解説していきます。
ペレはサッカー史上で最も偉大な選手といわれることが多い選手です。
しかしながら、サッカー界最高の名誉であるバロンドールが贈られることはありませんでした。
この理由は、規約が改定されるまで欧州出身のサッカー選手しか受賞資格がなかったためです。
マラドーナを含めたほかの欧州出身ではない名選手たちも同様です。
しかし、1995年からはUEFAに加盟しているクラブの選手(欧州のクラブに所属する選手)であれば出身は問われなくなりました。
その結果として1995年にはアフリカのリベリア出身のジョージ・ウェアが受賞しています。
さらに2007年からは欧州クラブ所属かどうかに関係なく受賞対象者は全世界になっているので、ヨーロッパ以外の出身の選手がとることもできるようになっています。
上で書いた通りペレにはその現役時代にはバロンドールの受賞資格がありませんでした。
ですが、名誉賞を含めいくつかの名誉を受賞されているので、それを見ていきましょう。
ペレに受賞資格がなかったとはいえ、当時から史上最高の選手という名声は得ていました。
このこともありさすがにペレのサッカー界への貢献は偉大なものがあったので、それらの功績により、2014年に名誉バロンドール(FIFA Ballon d’Or Prix d’Honneur)を受賞しています。
画像で見ると以下のようなものです。形は普通のバロンドールと比べてよく似ていることがわかります。
授賞式の様子は公式のYouTubeで見ることができます。
それだけにとどまらず、2016年にフランス・フットボール誌は「国際再評価」を振り返り、受賞資格が変更される前の12年間のうち7年間でペレがバロンドールを受賞していただろうと発表しています。
そこでは、ペレはそれぞれ 1958 年、1959 年、1960 年、1961 年、1963 年、1964 年、1970 年にこの賞を受賞していたであろう、と想定されています。
ペレがバロンドールを取れた理由のいくつかは推測が可能であり、1958年と1970年はブラジルをワールドカップ優勝に導いたことが理由と考察できます。
マラドーナもそのキャリアの全盛期にはバロンドールの受賞資格がありませんでした。
なお、規約が改定された1995年以降も数年は現役でしたが、すでにキャリアの晩年でした。
しかしマラドーナには、サッカーでの功績により1995年に名誉バロンドールの一つであるゴールデンバロンドールが贈られています。
マラドーナがバロンドールを取っていたと想定されている年は1986年と1990年の2回です。
1986年のほうは、アルゼンチンをワールドカップ優勝に導いたことによるものと考察できます。
1990年のほうは、所属チームのナポリで得点を量産しセリエAの優勝に貢献したことによるものと考察できます。
名誉バロンドールの受賞に至った事例ではありませんが、ほかの欧州以外の出身の選手、(欧州でプレーしたことのない選手を含む)が最初にバロンドールを受賞した例についても記述します。
フランス・フットボール誌によれば、もし当時から世界中の選手がバロンドール受賞資格を持っていたら、ガリンシャ、マリオ・ケンペス、ロマーリオといった選手も受賞していたであろうといわれています。
こうしてみると、やはり南米勢が圧倒的ですね。
当時からサッカー王国ブラジルの影響力が大きかったことが垣間見られます。
受賞資格が最初から全世界だったらサッカーの歴史は変わっていたかもしれませんね。それにしてもバロンドール7回に相当するというのはすごすぎます。