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長丁場だが結論がでない話し合いのたとえとして、「小田原評定」と「会議は踊る、されど進まず」がある。この二つの語源を解説し、どっちがながいのか比べてみる。
小田原評定とは、なかなか結論がでない会議や相談のたとえ
小田原評定は1590年に行われた。ただしもともとは、月に2度行われる行政の会議であった。
経緯としては、前年の1589年に秀吉からの宣戦布告を受けての戦略会議だった。2度行われており、
1590年1月の会議は籠城か出撃かが話し合われた。老臣松田憲秀は籠城を主張したのに対し、北条氏康の四男である北条氏邦は箱根に出撃する野戦を主張して意見が分かれた。1590年6月の会議は降伏か決戦かが話し合われた。
会議は踊る、されど進まず。とは、なかなかすすまない会議を皮肉った言葉。
1814年9月1日から開催された。オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。
会議で有名な働きをしたのはオーストラリアの議長メッテルニヒとイギリス代表カースルレイ、フランスの代表タレーランも会議において活躍した。
数ヶ月を経ても遅々として進捗しなかったが、1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。
ウィーン会議は風刺画も有名である。
検索するとウィーン会議のほかに清洲会議が予測で出てくるが、これは一日で終わった。
1582年7月16日に開かれた、織田家の継嗣問題及び領地再分配に関する会議である。参加した織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人であった。
そのあとの豊臣秀吉と柴田勝家の対決の終結までは、翌年1583年の賤ヶ岳の戦いまで待たなければならない。事態の収拾までは10ヶ月かかったという見方もできる。