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織田信長は戦国武将の中でも特に有名であり、本能寺の変で無念の死を迎えた人物として知られています。ここでは、彼の辞世の句や、記録に残る最後の言葉を3つ解説していきます。
辞世の句というと、戦国武将が死の直前の時期に残す、自分の心情を述べた最後の短歌ということになります。
例えば、豊臣秀吉や石田三成などのものはよく知られています。しかし、これらはある程度予測されたタイミングで死を迎えた人物だから辞世の句を詠むことができたという状況があります。
そこで疑問に思うのが、謀反など、予期しないタイミングで死を迎えた人物に辞世の句はあるのかということです。
織田信長はまさにそうで、本能寺の変で突然の死を迎えています。ですので知名度は抜群ながら、辞世の句というとピンと来ないのではないでしょうか。
ここでは、彼の辞世の句や最期の言葉をまとめました。
※以下、文章の引用は信長公記より。
織田信長は本能寺の変の時には辞世の句を詠んではいませんが、名目上、桶狭間の戦いの直前に舞いながら読んだ歌が「辞世の句」として引用されることがあります。
これはなぜかというと、圧倒的に優勢なのは今川義元の方なので死を覚悟する必要があったため、歌を作っておくという気概が必要だったと考えられるので、辞世の句とみなせるといえばみなせます。
それが有名な以下の歌です。
人間五十年 下天の内をくらふれば 夢幻の如くなり 一度生を得て滅せぬ者の有へきか
人間の人生はせいぜい50年ほどのものだ それは夢幻のようにはかないものである 一度この世に生まれて死なないものはいない
解釈としては「人間の命は短いので、自分の生きるうちに思い切って行動しよう」というような覚悟と人生観を表したものとされています。
実際には、この戦いで奇襲により勝利しているので、辞世の句とはならなかったわけですが。
他にも、辞世の句ではありませんが、最後の言葉として有名なものと、公式の記録に残る最後の発言があります。
もう一つ、信長の最期の言葉としては本能寺の変における以下の発言が有名です。
少ない手勢しかいない本能寺に明智軍が迫っており、本能寺には火の手も上がりますが、そこで発した言葉が以下のものです。
是非に及ばず
もうどうしようもない
信長自身も武器を取って戦いますが、最後は部屋に火を放って自刃します。
これも最後の言葉として引用されることが多い言葉です。
公式記録に残る信長の最期の発言は何なのでしょうか?
これは、自刃する部屋にこもる直前に、近くにいた女たちに行った以下の言葉です。
女ハくるしからす急ぎ罷び出よ
女たちは気にせずに急いで逃げろ
つまり、信長の最期の言葉は、近くに仕えていた女性たちに行った避難命令だったということがわかります。
この言葉が最後というのは、どことなく信長の女性に対する気遣いが感じられるものでもあります。
信長公記では、この言葉以降は信長の発言はなく、直後に部屋にこもって火を放ち、切腹したという記述があります。
問題は『信長公記』の作者はこの発言をどのように知ったのかですが、これは逃げのびた女性たちからこの言葉を証言として聞き出せれば記録に残すことはできます。
ここであげた最後の言葉はすべて『信長公記』に書いてあります。その意味で、有名な信長語録がそろっている資料ということになるので作者の貢献は大きいですね。