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1985年に起きた日航機墜落事故では、有名人が多数搭乗していた、あるいは搭乗予定だったことが知られています。ここでは、それらの人物や経歴をまとめました。
日航機墜落事故は、1985年の8月12日未明に、御巣鷹山に日航機が墜落した事故です。
日付からもわかるように、お盆の帰省シーズンとも重なっており、それと同時に、甲子園の開催されている期間でもあります。
こういった事情から、機内は常に満席であったということが知られています。
反対に、常に満席であることからキャンセル待ちが多く発生していたこともわかっています。
まずは、日航機墜落事故に遭遇した有名人を紹介していきます。
坂本九氏は言うまでもなく「上を向いて歩こう」などで知られる日本を代表する歌手です。
この日は歌う幼児というわけではなく、元マネージャーの選挙応援のために搭乗していたようです。
なお、この日の出発の時に「今日は上空は風が強そうだから、飛行機には乗りたくないなあ」と発言していたことも知られています。
竹下元章氏は元広島カープ所属のキャッチャーだった人物です。この時は、高校生の息子の応援のために甲子園に向かう途中でしたが、墜落事故に遭遇しました。
中埜肇(なかの はじむ)氏は、当時の阪神タイガース球団社長だった人物です。
同じく球団の石田常務とともに会議で東京に行った帰りに事故に遭遇しました。
この訃報は選手にも伝わり、社長のためにも頑張ろうと阪神のチームが奮起したことで、この年のリーグで優勝を果たしています。
北原遥子氏は宝塚の女優として有名な人物です。事故当時はすでに対談はしていたものの、CMやテレビドラマなどで活動を続けていました。
事故に遭遇した当時は24歳という若さでした。
もともとは墜落する日航機に搭乗予定でしたが、何らかの理由で乗らずに難を逃れた有名人もいます。
明石家さんま氏は、この事故に遭遇していたかもしれない有名人として一番知られている人物です。
もともとは事故機に搭乗予定でしたが、搭乗前の「ひょうきん族」の収録が予定より早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたために墜落事故を免れました。
稲川淳二氏も本来は搭乗予定の人物でした。
しかし、当日は立つのが辛いほど体調を崩していたので、翌朝に国鉄東海道新幹線のひかり号一番列車で大阪へ向かうようスケジュールを変更したため、墜落事故に遭遇しませんでした。
この事故に関して、稲川淳二氏は「生涯忘れられない出来事」と振り返っています。
他にも登場予定だった人物としてジャニー喜多川、少年隊のメンバーなどがいますが、満席だったこともあり多くの人が難を逃れています。
これらの遭遇しなかった人々は、満席であったことから飛行機に乗れなかった、スケジュールの変更などの事情が関係していたことがわかります。