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放射線が相次いで発見された当時、N線という放射線を見つけたと主張されたが、結局みつからなかったという事件があった。発見者ブロンロが誤りを認めなかった誤謬の例として非常に有名。研究不正の例としてあげられることもある。
1903 2月:フランス人の著名な研究者ブロンロ、N線を発見したと発表。X線の性質を調べているときに、新種の放射線と見なせる発見をした。このとき証拠写真(ととらえられたもの)も撮影したので、証拠とされた。
5月:ナンシー大学の頭文字にちなみ、N線となづけた
バーナーからも出る、N線があたったプリズムも帯びるようになる、人体からも出る、暗闇で目を敏感にする、などといった効果が相次いで発表された。人体からの発見は、医学にも応用できるのでセンセーショナルだった。
1904 年2月29日:さらに新種のN線を発見
この年、エックス線より多くN線の論文が発表された。国籍はフランスがおおかった。
1904年 4月:アルミのプリズムから出たものをN1線と名付けた。
さらに、ブロンロは「重放射」という現象を発見したと発表もしている。
1904年9月: ウッド、ネイチャーにN線の誤謬を指摘。
実際にブロンロの研究室で見学し、アルミのプリズムこっそりとりさる、などといった方法で誤りを見抜いた。
ブロンロは、疲労のため失敗したという言い訳をした。
9月:他の研究者が追試に失敗
擁護者として、ジラルデは、師匠の結果は正しいとしんじる、とコメント。
ブロンロの味方はフランスの研究者が多かった。たいしてドイツなどは否定的な見解を多く持っていた。ここにきて、N線騒動は国々の威信をかけた研究争いの様相を呈してくるが、かずかずの追試でも発見されず、しだいにすたれていった。
証拠写真までとられていたN線であったが、正体としては以下の説がある。
1.正体は、放電管とエックス線による空気のイオン化。これが感光板に影をつくり、写真になった。
2.たまたま写真技術の精度が悪く、像がぼやけただけ。
3.思い込みによりないものがあるというふうに見えてしまった。
・当時のドイツ皇帝だったヴィルヘルム2世もN線がみたいといい、研究者ルーベンスが実験をしたが、成果はえられなかった。
・ブロンロは、余生はひっそりと暮らした。
N線について検索すると、予測候補にI線と出てくるが、これは他の言語で調べても何のことかわからなかった。
おそらく誤入力と思われるが、詳細は不明。説としては、
・ブロンロが見つけたといった上述のN1線を示している?
・最初のブロンロの証拠写真は空気中のイオンが写り込んだものという説もあるので、イオン(ION)の頭文字だろうか?