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レイラインは、遺跡などの重要なランドマークを結ぶと現れる直線のことです。ここはパワースポット的な扱いをされることもあります。この上に住んだらなにか違いはあるのでしょうか。ここでは、その歴史人物の実例とその理由を考察していきます。
レイラインについて調査していると、レイライン上に住むという検索ワードがあることがわかります。
たしかに、パワースポットの一種ともいわれることもあるレイライン上に住むというのは、パワースポット巡りなどが好きな人たちからするとなにかご利益があるのではと考えることは自然でしょう。
以下では、レイライン上に住んだことのある歴史人物を見ていきます。
レイライン上に住んだことのある人物というのは、日本や世界の歴史を見ると意外と存在します。
とくに、風水などの要素を重視する人物であれば、そのような土地も考慮して住む位置を決めるということはありえそうです。
レイライン上に住んだ歴史上の人物は、日本の場合は徳川家康が該当します。
家康の住んだ江戸城は、「伊勢神宮~富士山~鹿島神宮」を結ぶ有名なレイライン上にあることで知られています。
江戸の都市設計をする際に、家康は風水などの呪術的な要素も重視したという逸話もあるので、そのような知識を持ったうえでレイライン上に住んだ可能性もあります。
家康はその後17年江戸城を居城としてから駿府城に移り住み、74歳で死去しています。
世界に目を向けると、例えばナスカの地上絵の研究をした女性数学者、考古学者のマリア・ライへはその地に住んで研究を続けています。
ナスカの地上絵は、文字通り人工的な直線が人の手によって地面に描かれているので、レイラインを描いたものとみることができます。
下の図はその直線群です。なお、有名なハチドリやサルの絵は直線に比べて小さすぎて見つけることはできません。
その後、マリア・ライへは帰国することなく95歳で死去しています。
レイライン上に住んだ二人の人物を見てみると、当時の平均年齢に比べて長生きしていることがわかk理ます。
これは正直に言えば偶然と言えそうですが、当人がレイラインの考え方を重視していたとすると、以下のような精神的な側面は影響があったかもしれません。
彼らがどの程度レイラインにこだわりがあり、そしてそれが実際に影響を与えていたのかは定かではありません。
しかし精神衛生上、「レイラインに守られているので心理的に安心」、というような作用は与えていたのかもしれません。
そうすrと、現代でも精神衛生上、安心感が欲しくてレイライン上に住みたいという願望をもつ人たちが一定数いたとしても不思議ではありません。
物件を探すときにレイライン上にあるかどうかを見てみるのも一興かもしれません。ついでに近所の史跡のことも知れるので地元の理解に役立ちそうですね。