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日本がつくった世界最大級の宇宙論用観測施設であるカミオカンデが完成するまでの年表。ニュートリノ天文学をきりひらく原動力となった。
1974:大統一理論、陽子崩壊の実験をしようとする動機が高まる。
1970年代末: 予定地が釜石鉱山から神岡鉱山へ、カミオカンデの語源
1970年代末: 口径のおおきな光電子倍増管の必要性、小柴が浜松ホトニクスに依頼して開発
1983:掘削完成
1983年7月6日:データ集め開始
1987年:マゼラン星雲ばくはつ
1980年代末:ニュートリノ反応発見
1988:太陽ニュートリノ観測
1996:スーパーカミオカンデ建設完成、カミオカンデ跡地にカムランドができる
1998:ニュートリノ質量発見
しかしながら、カミオカンデで調べる当初の予定であった陽子崩壊は、現在のところ決定的な証拠が見つかっておらず、この点に関しては予想が外れた形となっている。その証拠と思われる事象はあったようだが、データ処理をしていく段階で否定されたようである。
2001年に、光電管を多数交換した後に注水しているときに事故が起きた。原因は、付け替えた内部が真空の光電管の一つにひびが入っており、これが水中で連鎖的に破裂したものと考えられている。この事故で60%もの光電管を失うが、再建が進められた。
2002年、カミオカンデの剣きゅに貢献した小柴昌俊が、ニュートリノ質量の発見によりノーベル賞を受賞した。
もし、当初の予定であった陽子崩壊の観測が達成されれば、カミオカンデの業績による2回目のノーベル賞が取れるかもしれないと言われている。
・巨大な光電子倍増管はかなりのチャレンジだったが、浜松ホトニクスの社長の一声で開発が決まった。
・観測施設をつくっていく意義
カミオカンデは当初、陽子崩壊の証拠を見つけようと建設された。結局、陽子崩壊は見つけることができなかったが、それでもってカミオカンデ建設が無駄だったわけではない。ニュートリノ質量の発見によりノーベル賞につながる発見となった。当初の予定とは違っても価値のある発見をもたらすことがある一例である。