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岩倉具視は、使節団を組織してアメリカなどに渡航したことで知られています。これが岩倉具視使節団(岩倉使節団)です。ここでは、岩倉具視使節団のメンバーの構成とともに、その後や、有名人などを解説していきます。
岩倉具視使節団は、教科書の写真に写っている5人のメンバーが有名ですが、これ以外にもメンバーは大勢檻、107人に上りました。
メンバーの一覧は、以下の表のようになります。
全権大使 | 岩倉具視 |
副使官 | 木戸孝允(桂小五郎) 大久保利通 伊藤博文 山口尚芳 |
書記官 | 田辺太一 何礼之 福地源一郎 |
渡辺洪基 小松済治 林董三郎 長野桂次郎 | |
川路寛堂 | |
安藤太郎 池田政懋 大使随行 久米邦武 中山信彬 内海忠勝 野村靖 五辻安仲 | |
田中光顕 東久世通禧 山田顕義 佐佐木高行 田中不二麿 肥田為良 | |
村田新八 由利公正 原田一道 長與專齋 安場保和 若山儀一 阿部潜 沖守固 富田命保 杉山一成 吉雄永昌 中島永元 近藤鎮三 今村和郎 内村公平 大島高任 瓜生震 岡内重俊 中野健明 平賀義質 | |
留学 | 中江兆民 鍋島直大 百武兼行 前田利嗣 毛利元敏 前田利同 金子堅太郎 日下義雄 木戸孝正 黒田長知 高木貞作 團琢磨 津田梅子 鳥居忠文 永井繁子 牧野伸顕 三岡丈夫 山川捨松 山脇正勝 吉川重吉 平田東助 武者小路実世 清水谷公考 万里小路正秀 大村純熈 朝永甚次郎 長岡治三郎 錦小路頼言 坊城俊章 |
随員 | 新島襄(通訳) 岩倉具綱 大久保利和 畠山義成(杉浦弘蔵) 牧野伸顕 山縣伊三郎 山口俊太郎 吉井幸輔 吉原重俊(大原令之助) ほか。 |
メンバーのその後に関して解説していきます。
この写真の中で目を引く要素として、岩倉具視だけ頭頂部に髷を結って写真に写っています。
この髷ですが、シカゴに行ったときに後進国と思われるという理由から、使節団が帰国する前に断髪されました。
帰ってきたら髷がなくなったので日本にいた人は驚いたかもしれませんね。
冒頭に掲げた代表者5人の写真がありますが、このうちの3人が暗殺に遭遇しています。うち一人は未遂で済みましたが、2人は死亡しています。
伊藤博文はハルビンで暗殺されました。大久保利通も、紀尾井坂の変で暗殺されています。
全権の岩倉具視も、「喰違の変」という暗殺未遂事件に遭遇し、この時は堀に転落したことで一命をとりとめましたが、けがを負っています。
また、その後に岩倉具視と木戸孝允はがんで亡くなっています。山口尚芳も病気で死去しています。
岩倉具視使節団のメンバーには、その後に有名に陣になった人物もいます。
津田梅子も岩倉使節団のメンバーとして渡航した人物です。
帰国後は津田塾大学を開校したことで有名です。
中江兆民も岩倉使節団のメンバーとしてイギリスに留学しました。
ジャンジャックルソーおよびフランス啓蒙思想を広めたことから東洋のルソーともいわれるようになりました。
髷が途中で切られていたというのが意外でした。逆にシカゴまでの道中では外国の人にどういう反応をされたのか気になります。