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百人一首には、藤原道長の歌が入っているという話があるようです。これは事実なのかを調査してみました。また、なぜこのような話が広まったのかも考察していきます。
百人一首について調べていると、「藤原道長」という検索予測候補が見つかります。
また、該当する和歌を『望月の歌』という風に特定するようなサジェストも見つかります。
なお、望月の歌とは、権勢を誇った道長が詠んだことで有名な以下の句ですね。
この世をば 我が世とぞ思う 望月の かけたることも なしと思へば
藤原道長
これは藤原道長の和歌(望月の歌)が百人一首に入っているということを示しているのでしょうか?
これが事実なのかどうかをまずは見ていきましょう。
結論から言うと、藤原道長の歌は百人一首には入っていません。
ということはもちろん、望月の歌が入っていないということも明らかです。
ただし、百人一首は成立の時期の前後には、いくつかの和歌について入っていたりいなかったりするということがあります。
それについても見てみましょう。
百人一首には、成立の前後の時期に前身となる『百人秀歌』が作られています(一首のほうが先で、秀歌のほうが後、という説もあり)。
百人秀歌は101首が含まれており、うち97首は百人一首と同様です。
成立の前後の時期で見て、百人秀歌まで含めても、藤原道長の歌が入っているという事実はないようです。
なお百人一首の句で百人秀歌では外されていた句はあり、それが、後鳥羽院と順徳院の2首です。
これらが外されていた理由は、成立時期が承久の乱の直後だったため、幕府からの圧力を避けるために朝廷側の人物を外したのではないか、という説があります。
ここからは、なぜ藤原道長の望月の歌が百人一首に含まれていないのか考察していきましょう。
これは、時代が大きく空いているからと考えられます。
百人一首が成立したのが13世紀の始めごろとされています。
一方で、道長が望月の歌を詠んだのが1018年で、11世紀の始めです。その間には200年近い開きがあります。
このことから選ばれなかったものと考えられます。
ですが、907年成立の古今和歌集から選ばれている和歌もあるので、時代が離れすぎているというのは必ずしも決定的な理由ではないとも言えます。
なぜ藤原道長の歌が入っているという話がネット上で流れたのでしょうか?
ここからはそれを考察していきます。
百人一首には多くの歌人の和歌が収録されていますが、当時の貴族として栄えていた藤原氏の歌は多く入っています。
藤原から始まる歌人を数えると、7人もいます。
また、そのうちの一人は「藤原道信(ふじわらのみちのぶ)」という紛らわしい名前をしています。
このことから、道長の歌が選ばれているという誤解が広まったものと思われます。
また、そもそも和歌を選んだ人が藤原定家であり、これも藤原氏です。
もう一つは、藤原道長が詠んだ望月の歌が、非常に有名であることが挙げられます。
これは日本の歴史教科書でも取り上げられるほど有名です。
これにより、百人一首の和歌と誤認してしまい藤原道長の歌が入っていると勘違いしてしまったと思われます。
その後、気になった人がサジェストをクリックする形で定着し、それが増えることでサジェストの上位に上がり、さらにクリックする人が増える、という循環になったと考えられます。
藤原定家も藤原道長の歌を知っていたと考えられますが、どんな感想を持っていたのか気になるところです。道長はほかにも歌を詠んでいるようですが、あまり定家の魂には響かなかったのでしょうか。