\当サイトではリンク広告を利用しています。/
数学って難しそう?いやいや、今回はちょっと違います。
「日本人が世界をあっと言わせた!」そんな物語をお届けします!
しかもテーマは「不変式の有限性」。
聞き慣れないかもしれないけど、話はドラマチックなんです。さあ、いってみましょう!
まずは「不変式」って何?というところから。
ざっくりいうと、ある操作を加えても変わらない式(不変な式)のことです。
たとえば、以下のようなもの:
で、ヒルベルトが問うたのは次のようなこと:
「不変式たちって、ある程度の“基本セット”さえあれば、他のすべての不変式はそれらを組み合わせて作れるんじゃない?」
つまり、
という問いだったのです。
これは「不変式系の有限生成性(finite generation)」と呼ばれる問題です。
この問題、ヒルベルト自身が一部については解決していました。
1888年、彼は“任意の線形群に対する不変式環は有限生成である”と示しました。
けれど――!
彼がこの問題を「第14の問題」として1900年にリストアップしたときの焦点は、
もっと一般的な状況、つまり“線形ではない”もっと複雑な場合にも同じことが言えるのか?というところでした。
そしてここで、世界の数学者たちは立ち止まります。
なかなか「はい、有限です!」とも「無限になるよ!」とも言えない……
ついにこの沈黙を破ったのが、日本の数学者・永田雅宜(ながたまさのり)。
しかも、やったのは「反例を作る」というアプローチ!
「例外を見つけたら、全体の法則は崩れる!」
この発想で、永田は1959年、不変式が有限に表せない(=有限生成にならない)具体的な例を発見したのです!
1959年、永田は世界に衝撃を与えました。
「ヒルベルト第14問題には“有限にならない”ケースが存在する」
→ つまり、「No! 常に有限とは限らない!」
これにより、ヒルベルトの第14問題は否定的に解決されたのです。
彼の作った反例は非常に巧妙で、代数幾何・可換環論の深い知識が結集したものでした。
この功績は、今でも世界中の代数学者から称賛され続けています。
これにより、第14問題は否定的に解決されました。
ちょっと数学的な話になりますが、ざっくり説明するとこうです:
永田が扱ったのは、以下のような設定です:
ヒルベルトは「この集合(不変式の環)は有限生成だ」と期待していた。
ところが永田は、ある具体的な代数群の作用を考えることで、
その不変式の集合がどうやっても有限生成にならないという事例を構築したのです。
しかもその例は、非常にシンプルに見える構成なのに奥が深いという点でも、世界を驚かせました。
永田雅宜は当時まだ若く、日本の数学界においても国際的な認知はそれほど広くなかった時期です。
それでも彼は、独自の視点で「ヒルベルトの幻想」に穴を空ける、いわば“神話崩し”のような研究を行いました。
伝えられているところによると、
彼の反例は、数学的な技術と同時に、哲学的な強さも感じさせるものでした。
なぜこんな「有限・無限」の話が重要なのか?
それは、不変式の有限性が成り立つかどうかで、代数幾何や表現論、さらには物理の理論の組み立て方に大きな違いが出るからです。
有限であれば理論もコンピュータも扱いやすく、
無限だととたんに難解になり、制御不能になってしまう。
永田が示した反例は、「自然界は常に簡単ではない」という現実を数学的に示したとも言えるのです。
永田による否定的解決によって、第14問題の方向性は大きく変わりました。
現在でも、第14問題は「反例の構造」や「可換環の分類」など、さまざまな研究の起点となっています。
つまり、終わったようで、終わっていない問題なんです!
「日本人がヒルベルトの問題を解いた」って、ちょっと誇らしくなりますよね!
次回も、まだまだ続く“帰れま23”!お楽しみに!