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土方歳三は、幕末に新選組として活躍し、現在でも人気の高い武士です。彼はさまざまな刀を保持していたということで知られていますが、読み方が難解です。ここでは、愛刀、鍔について読み方を解説していきます。また、ほかの武器についても解説していきます。
土方歳三の刀は4つが知られており、現存しているものもあります。ここでは、読み方を述べるとともに、どのような刀なのかを解説していきましょう。
もっとも有名なものは、最後の時まで愛用していた佩刀の「和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)」でしょう。
これは小姓の市村鉄之助の手によって遺髪・写真・手紙と共に土方の実家に届けられています。このエピソードは戦死する直前の話として非常に有名ですね。
刀の長さは2尺3寸1分(70.3cm)あります。
実家に届けられたこともあり、現存しています。
この名前の「〇〇守××(名前)」というのは、刀匠の流派と、その人物名を表しています。
ちなみに佩刀の読み方は「はかし」と読みます。意味は貴人などの刀を敬って呼ぶ読み方です。「はいとう」と読むこともありますが、こちらは刀をつけていることというニュアンスもあります。
刀匠は読み方は「とうしょう」であり、刀をつくる刀鍛冶のことを意味します。
2つ目は、「大和守源秀国(やまとのかみ みなもとの ひでくに)」です。
土方が会津藩氏の秋月登之助に贈った刀として知られています。
こちらは会津藩の刀鍛冶であった源秀国が作った刀です。
この刀も現存しています。
土方歳三の3本目の刀は、「越前康継(えちぜん やすつぐ)」です。これは読み方が名前だけなので結構簡単ですね。
この越前康継は徳川家に近しい刀鍛冶であり、腕もよかったことから徳川家の家紋である「葵のご紋」を掘ることが許され、この刀にも刻まれています。
この刀も現存しています。
4本目の刀が、「堀川国広(ほりかわ くにひろ)」です。
この刀は太刀ではなく、脇差であることが知られています。
近藤勇の手紙の中に土方が所持していることが書かれているので、腰に差していたことは確かなようです。
長さは1尺9寸5分であり、およそ60センチなので、脇差としては長めであることがわかります。
現存はしていませんが、もう一つが知られています。
それが「和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)11代目」です。
見ての通り、一番最初に開設した刀と名前が同じなので、読み方も同じですが、何代目かが異なります。そして、長さも微妙に異なります。
上の12代目は2尺3寸1分(70.3cm)でしたが、11代目は2尺8寸(84センチ)であり、もっと長いことがわかります。
土方歳三の方に関しては、「鍔」も有名です。
これは、鍔にも装飾が施されており、そこにもメッセージが込められていることが有名だからだと思われます。
鍔には、「圓滿」と書かれています。これは今の漢字で書くと「円満(えんまん)」であり、願い事がうまくいくようにという意味が込められています。
さらには、鍔に梶の葉の模様が描かれています。
梶(カジノキ)の花言葉は「過去の思い出」または「謙遜」ですから、ここにも土方歳三の思いが見て取れるような気がしますね。
こうしてみてみると人に贈ったり託したりした刀は現存しやすいということがわかります。