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犯罪は古代から人間社会の抱える問題として存在したが、その研究の方法として犯罪学が誕生していくことになる。しかし、その誕生までには長い時間がかかった。この記事では犯罪学が発展する前の歴史を解説する。なお最近でも犯罪を悪魔の仕業とする言説が存在する。
古代エジプトでは、心霊論が登場した。この心霊によって犯罪が引き起こされるとした。
また、天災は精霊が人間に下した処罰という見方もおこった。
古代ギリシアのヒポクラテスは、精神は脳にあると主張した。ここでは心霊ではなく脳の働きによって犯罪が起こされるとした。
前1世紀には、古代ローマでもこの考えが発展される。
これらの考えは犯罪学古典派の理論へつながることになる。
中世においては、犯罪は加害者と被害者の問題に落としこまれることが多かった。そこで、以下のような犯罪の解決方法があった。
決闘裁判・・・加害者と被害者で決闘をする。神を信じていれば正しい方が勝つはずなので、それをもって捌きが下ったとする。
神裁判・・・何らかの方法で苦痛を与えるが、無罪なら死なないはずなので、それを盛って裁きが下ったとする。石投げや溺死などがその手法だった。
免責宣誓・・・宣誓した上で嘘をつくのは宗教上怖いはずなので、その宣誓をもとに判決を下す。
18世紀にはベッカリーアが登場する。彼は「犯罪は犯罪者の計算によって起こる。」「犯罪に応じた罰が必要で、分け隔てなく適用される=法のもとの平等が重要」と主張した。・・・このベッカリーアの功績をもって犯罪学の開祖とする見方が主流である。このあと、さまざまなアプローチが提案されていくことになる。
最近でも宗教的な信仰の影響力の強い一部の地域では、犯罪を悪魔の仕業などと解釈する姿勢も存在するようである。
1987年、キリスト教系のPTLクラブの幹部が不倫を告白したとき、信者はこれを悪魔の仕業とした。もっとも犯罪とはやや分野が異なるが、心霊論に似ている。
また、同じ団体で使途不明金が発覚したときには、教団は「コンピュータに悪魔が入った」と主張。この悪魔はもちろんコンピュータウイルスの亜種ではない。もはや便利な解釈や逃げ口上として悪魔が使われている漢字すらある。
2010年には、ハイチ地震が起こったが、これについて「ハイチ地震は悪魔に約束をしたからおこった」との主張が起こったりした。
もちろん現在では、世界のほぼすべての地域で犯罪や災厄を悪魔の所業とする見方は消滅しているし、犯罪に対する対処も法律をもとに行われることになっている。犯罪学も、そのアプローチをいろりろ変えながら知見を積み上げてきた。