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『こ~こはど~この箱庭じゃ?』ネタバレ&考察!元ネタはあの童謡!

この記事では、有名なノベルゲーム形式のホラーFLASHゲーム『こ~こはど~この箱庭じゃ?』について、ネタバレを交えながら、内容の考察や元ネタの考察などをしていきます。

パソコンの中で繰り広げられる不気味な世界に、
あなたも足を踏み入れてみませんか?


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🖥️ ゲームの概要

『こ~こはど~この箱庭じゃ?』(ここはどこの箱庭じゃ?)は、2003年頃に公開されたフリーのホラーFLASHゲームです。

プレイヤーは、ある個人ホームページにアクセスした10000人目の訪問者となり、
そこから物語が始まります。

サイト内には、管理人の行太(こうた)や、掲示板の住人であるJUNまなみといったキャラクターが登場し、次第に奇妙な出来事が展開されていきます。

ゲームは現在でもできます。やり方については『こ~こはど~この箱庭じゃ?』のやり方のページを参照してください↓


『こ~こはど~この箱庭じゃ?』ゲーム内容のネタバレ!

まずはゲーム内容の流れを要点をまとめてネタバレしていきます。

📷 行太のアルバムと日記の異変

ゲームを進めると、行太のアルバムに彼の写真が掲載されていますが、
次第にその内容に変化が現れます。

また、日記にはホームページの動作が不安定になってきたという報告が書かれ、
掲示板では住人たちとのやり取りが続きます。

しかし、やり取りの内容は徐々に不自然になり、
プレイヤーは次第に不安を感じ始めます。


💻 ハッキングと行太の消失

物語が進行する中で、ホームページがハッキングされるという事件が発生します。

ハッキング後、行太の画像がサイトから消え、
さらにホームページ自体も表示されなくなるのです。

この出来事により、プレイヤーは
「行太はどこに行ってしまったのか?」
「このサイトは一体何なのか?」
という強い疑問を抱くようになります。


『こ~こはど~この箱庭じゃ』内容の考察!

考察としては、以下のような点が特に気になるところです。

🧠 考察:行太はどこに行ったのか?

行太がどこへ消えたのかについて、いくつかの説が考えられます。

最も有力なのは、行太の意識がホームページ内に閉じ込められたという説です。

これは、彼自身が構築したデジタル空間に囚われてしまったことを意味し、
現実とネットの境界が曖昧になる恐ろしさを象徴しているとも言えるでしょう。


🔁 ループ説:ゲームの中で繰り返される悲劇

もう一つの有力な説は、「ループ説」です。

行太が中古パソコンを購入してサイトを立ち上げるという流れが、
実は何度も繰り返されているのではないかという仮説です。

つまり、このゲームは永遠に終わらないループ構造になっており、
行太やプレイヤーは知らぬ間にその中に組み込まれているのかもしれません。


🎬 元ネタとインスピレーション

『こ~こはど~この箱庭じゃ?』には、いくつかの元ネタやモチーフがあると考えられます。

まず一つ目は、1982年の映画『トロン』などに代表される、
人間がコンピュータ内に取り込まれるSF作品です。

ゲームのタイトルは童謡『とおりゃんせ』が元ネタ

また、ゲームタイトルの「こ~こはど~この箱庭じゃ?」は、
童謡『とおりゃんせ』の一節「こ~こはど~この細道じゃ」が元ネタでしょう。

そして、有名な歌詞「行きはよいよい帰りは怖い」という内容とも、ゲームとの関連がうかがえます。

主人公の名前は行太であり、歌詞の内容ともリンクしていることはおそらく偶然ではないでしょう。

これにより、「行った者が戻ってこられない場所」としての箱庭の恐怖が暗示されています。


ネットストーカーの恐怖を描く寓話的ストーリー

『こ~こはど~この箱庭じゃ』は、一見すると幻想的で不気味な雰囲気の物語ですが、その背景には、ネットストーカーという現代的な社会問題が色濃く反映されています。

特に、物語に登場する“見えない監視者”や“閉じ込められた空間”の描写は、ネット上でのプライバシー侵害や追跡行為に悩まされる人々の恐怖を象徴しています。

作品の舞台である「箱庭」は、ユーザーの行動が監視・記録されるネット空間のメタファーとも解釈でき、**「どこにいても見られている」**という不安感が全体を通して漂っています。


被害者の心理と孤立感を巧みに表現

物語の登場人物は、自分が監視されていることを次第に意識しはじめますが、外部との連絡手段を断たれ、徐々に孤立していきます。

この展開は、実際にネットストーカー被害に遭った人々が体験する「誰にも理解されない」「逃げ場のない恐怖」と非常によく似ており、被害者心理をリアルに反映しています。

また、加害者が明確な姿を持たず、抽象的に描かれていることも注目ポイントです。これにより、加害者の実態がつかめず恐怖が増幅するネット特有の構造を浮き彫りにしています。


メディアリテラシーの必要性を訴えるメッセージ

この作品は、単なるホラーやサスペンスではなく、ネット社会における危険性への警鐘としての役割を持っているといえます。作者が意図的に描いた“誰でも被害者になりうる”という構造は、現代人にとってのメディアリテラシーの重要性を問いかけています。

情報社会に生きる私たちにとって、『こ~こはど~この箱庭じゃ』は、現実と地続きの恐怖を描いた警告書のような作品ともいえるでしょう。

🧩 まとめ:デジタル世界の恐怖と人間の存在

『こ~こはど~この箱庭じゃ?』は、単なるホラーゲームではありません。

その物語は、デジタル世界と現実の境界線を曖昧にしながら、
人間の存在や意識の本質を問う
ような作りになっています。

ゲームを進めるうちに、プレイヤーは自分自身がこの世界に深く入り込み、
「自分はどこにいて、何者なのか?」という問いを突きつけられます。


👻 最後に

『こ~こはど~この箱庭じゃ?』は、Flashゲームという枠を超えた、
極めて実験的で深いテーマを持った作品です。

興味のある方は、ぜひ一度プレイしてみてください。
ただのホラーでは終わらない、
デジタルと人間の境界に迫る恐怖が、そこにはあるかもしれません。

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