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ギロチンはフランスで発明された処刑道具であるが、その原型はすでに数世紀まえから存在した。また、互いに影響を与えている。ここでは、その歴史を解説する。
14世紀には、二本の柱の間を刃が滑り落ちるようにした「首切り機」がスコットランドで使われていたことがわかっている。
1400年代末、ドイツ語でファルブレット(落下版という意味)の処刑機械が使われていたらしい。柱の間には板があり、上から叩くことで脊髄と首の肉を砕いて処刑した。
15世紀末にイタリアで、「マンナイア」の説明がかかれる。刃が水平なのが特徴である。これはきれいに切断するというよりぶったぎるという感じになる。
1509年の「福音書と使徒書簡」には、首斬り機の素描がかかれている。これは聖人の挿し絵に描かれることがおおく、そのような迫害があったものと思われる。
1640年ドイツの「新農民年鑑」には、打ち首機が記されている。これは支柱はそれほど高くなく、首にのせた水平の刃をハンマーで叩くことで首を切るものである。
16世紀版画、紀元前4世紀のマンリウスの処刑 この時期、数世紀にわたり斬首機プランケがドイツとフランドルで使用
同じく16世紀には、「ハリファックスの処刑台」が登場する。(ハリファックスは地名)着目するべき点としては民衆が紐をもち、放すと刃が落ちるモデルだった。
1561年にはモートン伯爵、ハリファックスをもとに「スコットランドの乙女」を開発した。これはギロチンのように横木があり、掛け金式で刃を落とした。
なお、開発者のモートン伯爵もスコットランドの乙女で処刑された。
1678年には、ランドル・ホームズというひとが首斬り機として、ハンマーでたたくと、刃が落ちるというモデルを発表している。
1599年:マンナイアによる処刑記録。ベアトリーチェ・チェンチが親殺しの罪により処刑された。
1702年:マンナイアの最後の使用記録がこの年である。
1710年:スコットランドの乙女、最後の使用記録がこの年である。
1865年に、古代の遺跡から「石のついた刃」が見つかる。これは「ゲールの首斬り機」とよばれ、本当に処刑に使われたのであれば、石器時代のギロチンということになる。