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相対性理論のあとに出てきた理論として有名なブランスディッケ理論について、簡単な内容と歴史的な流れを解説する。
ブランスディッケ理論は、カール・ブランスとロバート・ディッケにより構築され、重力理論として1961年に発表されたあと、1966年にディッケ自身が太陽の扁平率を観測したことで世にでた。
扁平率の影響で、水星の近日点移動が相対論の予言とは食い違うことになるが、ブランスディッケ理論ならば、パラメータの操作によって観測と合わせることが可能だった。これにより、相対論より正しい理論と呼ばれるようになった。
1970年代には、一大ブームとなって有名になった。ブランスディッケ理論に対する正否の論文が大量にでることになった。
また、理論による差はわずかだったので、より精密な実験による検証がすすんだ。
一般相対性理論は、その数学的道具としてリーマン幾何学をつかっている。リーマン幾何学の知見のすべてを利用している訳ではないので、その幾何学の部分自体を拡張することで別の理論を作ることが可能になっている。
ただし、必ずしもよりシンプルであるという保証はない。むしろ、複雑になってしまう。
ほかの重力理論としては、カルツァクライン理論や、成相の重力理論などが有名である。
ディッケの考えは、計量テンソルのみを考える相対論に加え、スカラー場も加える拡張をした。
また、万有引力定数が宇宙の物質の分布によって変化すると考えた。
ブランスディッケ理論の基本方程式は以下のようなものである。
アインシュタイン方程式と比べて、似ているが項目が多いことが見てとれる。
実際、シンプルさの点ではアインシュタインの相対性理論に分があると判断された。
今日では、両方とも観測事実とは矛盾しないが、シンプル差の面で一般相対性理論が採用されている。実際に、ブランスディッケ理論は、その極限として相対性理論を含んでいるので、完全な間違いと断言できるかというとそうでもない。