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ゾディソワフ・ベクシンスキー(あるいはズジスワフ・ベクシンスキ)はポーランドの画家で、退廃的な絵画作品を多く残したことで有名です。ここでは、ベクシンスキーの死因や日本人との関係について述べていきます。
ベクシンスキーの死因は、ショッキングですが殺人事件により殺された、というのが真相です。
2005年2月、ベクシンスキーはワルシャワのアパートで遺体で発見されました。
犯人は、19歳のロバート・クピエクであることが事件の直後に判明し、2日後に警察に逮捕されました。
犯人とベクシンスキーの関係は、何年もベクシンスキーの援助をし、ものの修理や掃除をしていたというものだったようです。
犯人はベクシンスキーを17回刺した(うち二か所が致命傷を与えたと判断)その後、16歳のいとこと一緒に、彼は遺体をバルコニーに運び、証拠隠滅を図るとともに、そこにあったいくつかの物品の窃盗を行ったことがわかっています。
2006 年判決が出され、犯人に25年の懲役、16歳のいとこに共犯の罪で 5 年の懲役を言い渡されました。
事件の動機としては、ベクシンスキーに借金の頼みを断わられたことといわれています。
ベクシンスキーの家族も、中には安らかではない死去を指定待った人物がいます。
一人はかれの妻で、大動脈瘤によって、病院で死去しました。これが1998年のことでした。
もう一人は彼の息子トマシュ・ベクシンスキーで、死因は薬物の過剰摂取により自殺しています。
遺書には、映画のブレードランナーのラストシーンのセリフとして有名な一説「すべては刹那に消えていく、雨の中の涙のように・・・死ぬ時が来た」が刻まれていたそうです。
息子の方は音楽関係で仕事をしていることから、親子そろって芸術的な才覚を備えていたことがうかがえます。
ベクシンスキーべく本人はこの死去を受け入れることができす、「もし私がくたばった時に備えて、Tomek(息子の愛称)へ」と綴った手紙を壁にピンで留めていたそうです。
日本人との関係として、1990年代に、ベクシンスキーの絵を買い取ったが、行方が分からなくなった日本人との関係が知られています。
1990年代に、多数の絵画作品をピョートル・ドモホフスキ(作品を管理している人物)氏から購入した日本人がいたと報告されています。
彼らは複数の男女で美術関係者ではなかったらしいとの話です。
彼らは59点ものベクシンスキー作品を購入し、大阪で「東欧美術館」を開館し、それらの作品を展示もしくは販売していたところまでは足取りがわかっています。その関係で、1991年に非売の図録を刊行していたことが判明しています。
しかしやがて「東欧美術館」は閉館してしまい、ドモホフスキ氏が知る彼らの連絡先も今日にいたるまで不通となってしまいました。
作品が彼らの手元にあるのか、販売されてしまったのか、これらは謎のままになっています。
その後、日本ではいまだに展覧会が開かれたということはありません。
おそらくベクシンスキーをはじめとする東欧の作品群のファンで、バブルで富をなした人が複数人で絵を買い取ったと考察できます。まだ生存しているとすれば、70代くらいの年齢と思われます。見つかるとよいですね。
ベクシンスキーがなぜか「検索してはいけない言葉」になっていたのがわりと謎だったので記事を書きました。彼の絵が怖いということなのでしょうか。