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バイユーのタペストリーは、ノルマン・コンクェストの様子を刺繍したタペストリーであるが、その研究の中で解かれていない謎が多数ある。その謎について解説した。
文章は全てラテン語で書かれている。
タペストリーの上下の枠外には動物がかかれている。特筆すべきなのは、以下がある。
熊いじめ・・・途中に熊いじめの図がかかれている。これは19世紀に禁止されるまで続いた娯楽で、熊を木に繋いで剣などで狩るものである。
鳥撃ち・・・鳥たちを専用のパチンコのようなもので撃っている図が描かれている。
これはハレー彗星であり、この彗星の周回軌道の計算から、年月が判明している。イングランドで目撃されたのは1066年3月であった。
文章には一人の聖職者とエルフギーフと書いてある。したに性器を強調している男がかかれているので、不倫を断罪していると言われている。
ハロルド側へのネガティブキャンペーンとすると、クヌートの愛人でハロルドの母親だったエルフギーフとの説が有力である。
この戦いを記録してる「ヘイスティングス戦いの詩」や「ロロの物語」などは、ハロルドが太ももを切り裂かれたと書いている。また、斧をもっていたこともわかっている。
さらに、全体的に死者は目を閉じているか白目をむいて描かれていることなどから、馬の右で倒れている人物で間違いないと思われる。
同時代のウィリアム=ポワティエが書いた戦記などの記述から、少なくともイングランド征服、ウィリアムの戴冠、ウィリアム軍の凱旋、が描かれていたことは間違いないとされる。
あわせて64幕くらいあったらしい。
伝説ではウィリアムの妻が侍女たちと編んでいったといわれている。実際は、ウィリアムの血縁者の司教オドが、パトロンとなってウィリアム王の称揚を目的に作ったらしいというのが定説である。タペストリーは1070年代につくられた。
完成されたあと、ながらく行方不明であった。
1100頃:大司教がブロワ伯にあてた詩のなかに「装飾された織物」について述べている。これがタペストリーなのかはわからない。
1420 :イングランド征服を描いたタペストリーが聖堂の財産目録にある。
1619 :フーコ、タペストリーの写しをとる。史料として扱われ始めた。
フランス革命のときに、裁断される寸前で保護された。
ナポレオン政権のときにはギャラリーに飾られていた。このあたりから研究が始まっていく。