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18世紀頃になると、化学の進歩により徐々に錬金術は不可能なものとみなsれるようになっていた。錬金術師ジェームズ・プライスが金を作り出したと主張したが、その公開実験のときに、毒を飲んで死んでしまった。錬金術の終わりを告げる象徴的な事件である。
時をほぼ同じくして、錬金術はついに、原子論の登場によって否定されることになった。
1661:ボイル「懐疑的な化学者」著す、4元素説の否定
1722:王立アカデミーの論文で、錬金術のいかさまを解説・・・二重の皿、なかぬき撹拌棒、金属いりアマルガム、金をとかした酸、金をまぜた濾紙、などがよくあるトリックとして書かれている。
18世紀後半:ラヴォアジェ、質量保存則
自殺したのはプライスという錬金術師である。
1782:プライス、博士号を取る。同年、水銀から金の生成に成功したと発表
同時期:ロンドンクロニクルに載る
1780代: 王立学会、調査の必要、プライスは公開実験を承諾
18世紀末:公開実験の場で青酸カリを飲み、人が見ている前で自殺
1808:ドルトン、「化学の新体系」を発行。原子説の確立。・・・原子は変成しないので、金属の原子から金を作ることは不可能と発表。錬金術の否定。
・科学者ブールハーヴェは、錬金術への評価として「そこに埋められた宝はなかったが、掘り返した土地が耕されたので結果として金持ちになった」と述べた。
・錬金術を打ち砕いた原子論
錬金術の主目的は金属の変成、すなわち卑しい金属から金を作ることであった。しかし、原子論によれば金属の原子は変わることがないため、どのように物質を混ぜたり加熱したりしても、金を作ることはできない。
錬金術でできたことは、幾人かの錬金術師が記録しているように、せいぜいメッキをして表面だけ金にするとか(これは実行するのに初めから金が必要である)、金メッキではないが金色の色彩を出させる(黄銅をつくる)ことしかできなかった。
・錬金術の残したもの
ブールハーヴェの言うとおり、錬金術は決して金を人々にもたらさなかったが、実験方法や器具の進歩によって科学が進歩する原動力となり、結果として、人類の英知を推し進めることになったということはできるだろう。